スタートから少し走行すると激坂が始まる。最初住宅地みたいなところをちょっと走り、そのあと木々に覆われた小道を走る。さすがに名にし負う激坂であって、簡単にペダルが回らない。ダンシングして何とか回せる感じ。ここでめちゃくちゃ腰が痛くなる。Mt.富士ヒルクライムで初めてヒルクライム大会に出て腰が痛かった覚えがあるが、それ以来、ここ以外で坂を登るとき腰が痛くなることはなかった。普段痛くないところが痛くなるというのは、それだけ過度に負担がかかっているということだろう。
以前は腰の痛みと、前で自転車を押す人をみたことで気持ちが切れ、激坂半ばで自転車をこぐのをやめてヘナヘナと激坂を自転車を押して走行してしまった。しかし、今回は記録はともあれ何が何でもとりあえず激坂だけは上りきってやろうと思う。無論気持ちだけでは激坂は上れないが、まずは気持ちである。そんなわけで、激坂の直線区間を何とかダンシングを交えて上り切った。
一昨年は「ここが一番の難所!!EPSONと」いう立て札があったような覚えがあるが、今年はないところをみると、ひょっとしたら「一番の難所」区間の見直しがなされたのかもしれない。直線区間後左に右にカーブするところをダンシングで何とか乗り切り、激坂区間は一段落する。とりあえず激坂区間を脚つきなしで乗り切り、リベンジは果たしたとの思い。
2年前激坂区間を上ったときはフロントギアのインナー38だったのだが、今回はインナー34のコンパクトクランクを使用している。これが激坂上りのために大きいと思う。
2年前激坂区間を上ったときはデュラエースのコンパクトクランクがまだなく、デュラエースのコンパクトクランク早くでないかなぁ、出たら即座に導入するのになぁと思っていた。それから1年半の月日を経てついにデュラエースのコンパクトクランクが出た。ずいぶん待たせやがってと思ったが、それでもついに出してくれたのでこれを即座に導入した。
激坂では、まずクランクをまわせないことには話にならないが、コンパクトでないクランクだと、この激坂をまわすのは非常に困難。そのためコンパクトクランクにしてようやく、「激坂でクランクをまわす」という、激坂登坂の大前提が整ったと思う。
激坂区間一段落後数十メートルくらい平坦地っぽいところがあり、そこで一息つけるかと思ったが一息つくまもなく激坂クラスではないもののそこから2〜3kmほどきつい坂が続く。
木々生い茂る中を走行していると、突如として木々が途切れてパッと視界が開ける瞬間がある。そんな時「ああ、ずいぶん上ってきたなぁ」と思う。勾配がきつい分、短い距離で相当高いところに上ることになるのだ。後ろから来た人が多数勢い良く私を抜いていく。他方、自転車を押していたり青色吐息でヘロヘロと走行していく人を私が抜いていく。私を抜いていく人たち多数、私に抜かれていく人たち少々、という感じである。
およそ3kmほど走行すると平坦地となり、そこを数百メートル走行すると広めの道のT字路に出て、そこを右折する。ここから美鈴湖のあたりまでは平坦地〜やや下り坂である。無論ある程度スピードを出すが、他方この区間は激坂区間の脚休めという色彩もある。フロントギアをアウターに切り替え、美鈴湖を右手に見て実に気分の良いサイクリングをしばし楽しむ。
美鈴湖の眺めが途切れて、再び木々に覆われた坂道区間に入る。いままで平坦基調だったところでいきなり坂道になると、肉体的ダメージよりも精神的ダメージの方が大きい。フロントギアをインナーに切り替え、再び上りモードに入る。
ここでの作戦は、とりあえず直線区間はシッティングで走行し、カーブはダンシングして切り抜けるということである。坂の勾配がゆるくなったりきつくなったりするとペダリングしてわかるので、緩急に応じてギアを変えるのはもちろんのことである。
直線で見通しがよくてゆるやかな坂道は楽しい。カーブの間の急勾配になるところはダンシングして切り抜ける。そうなると問題は急勾配で長いところである(あたりまえか)。さすがに序盤の激坂のようなすさまじいのはもうないが、それでも壁みたいなのが時折これでもかこれでもかと押し寄せる。そのたびにエンヤコラホイサッサと切り抜ける。
時折遅いくせになにやら声をあげたり呼吸を荒げたりして上るのがいて、こちらのリズムをくずされてうざったい。そういうのは若干無理をしてでも即座に追い越す。
8km地点辺りにジュニアの部のゴールがある。一昨年はジュニアの部のゴールに駆け込んできた子供をみたが、今年はジュニアの部の子供をみていないところをみると、一昨年よりは速いペースで来ているのだろうと思う。
ジュニアの部のゴールとほぼ同じ地点に給水ポイントがある。通常ボトルの水で足りるので給水ポイントで水を飲んではいないが、今回は結構暑いのでひょっとしたらボトルの水では足りなくなるかと思い、一応水をもらって飲んでいく。このあとも、給水ポイントに立ち寄るたびに水をもらって飲んでいく。
8km地点を少し過ぎたあたりで、「ここは折り返し点で〜す」と叫ぶ係の人がいる。コースの全長が21kmなので、まだちょいと折り返し点には早いと思われるが、他方18km走行すると残りは最後500m程度を除きほぼ平坦地なので、「坂道区間の中間点ですよ」位の感じで受け止めておく。
さすがにヒルクライムだと、脚だけでの力だけではなかなかクランクが回らず、全身の筋肉を使ってまわす感じになる。基本的には臍下丹田に力をこめて、左半身右半身とナンバ歩きの要領で体を使う。そうすると、決して速くはないが、滑らかに進んでいくことができる。坂を登るときのように、負荷がかかった状態においてはペダルを踏みこむような感じで進みたくなるが、そうなると体に負担がかかる。今あるだけの体力を効率的に使うための体の使い方は大事だと思う。
13km〜15kmくらいの間の地点だろうか、「ここが最大の難所 EPSON」というたて看板が見える。「難所っていっても、それほど難所という感じはしないなぁ、脅し文句か」と思いながらこの先を進んでいくと、曲がりくねったダラダラ坂がこれでもかこれでもかと続いている。激坂のような、見るからに難所という感じではないが、それでも比較的傾斜のある坂がダラダラと続く、もっともいやらしい感じの坂である。確かにこれは難所だわと思って辛抱して走行する。
この看板、以前は激坂のところに立っていたと思うがどうだろうか。EPSON内のツール・ド・美ヶ原難所選定委員会により見直しがなされたのだろう。
その間だったか、なにやらワンボックスカーっぽい自動車が止めてあって(自転車屋さんか?)、「はい上りはあと5km、あと5kmですよぉ〜」と声を掛けてくれる。女性の方には「はいもっと楽しそうな顔して走れないの〜」と声をかける。なるほどこののぼりもあと5kmしかないのか。のぼりはきついが、こののぼりを拝めるのはほぼ1年に1度なので、何となくもったいないような気もする。
第3CPで水をもらい、武石峠のあたりを過ぎると、「美ヶ原高原」「思い出の丘」など、各種道路標示が出てきて、いよいよゴールも近くなったなという感じがする。気のせいか勾配も大分平坦になってきたようだ。
そんな中をしばらく走行していくと、突如としてパッと視界が開け、まもなくして平坦〜下り基調となる。スタートから18km、ついに激烈な上り区間は終わり、ゴール前500メートルまでの間は下りである。この間脚休めだけでなく疾走区間となった。つつじが咲き乱れ、はるかに広がる美ヶ原高原の中をひたすら疾走する。ツール・ド・美ヶ原に来てよかったと思う瞬間である。およそ3kmほど、その至福の瞬間を満喫して疾走する。
至福の瞬間は長くは続かない。3kmほど夢のような瞬間を過ごした後、最後の坂が待っている。しかしこれを上りきればもうゴールだ。一昨年ヘロヘロになってあちらこちらで脚をついた屈辱を晴らせることは99.99999%間違いない。そして、一昨年は第一陣の下山の人たちとすれ違うほど遅れてしまったが、今回はそういうこともなかったので、一昨年よりは大分良い走りはできたと思う。
最後500mほどでは応援の人が大分増えて声を掛けてくれるので励みになる。「最後ダンシングダンシング!!」と声を掛けてくれる人がいるので、「そんな簡単じゃないっすよ!!」と返しつつも最後ダンシングしてゴールする。タイムはどうであれ、ヒルクライムでのゴールは何度やっても充実感とか達成感がある。とにかく気持ちを切らさないことだけを考えて走行した結果とりあえず脚をつかずに走行することができた。タイムはともあれそれで満足という感じ。
ゴールするとエディさんが迎えてくれる。ゴールの瞬間お迎えしてくださる人がいて何ともうれしく心強い。吉田自転車ツール・ド・美ヶ原ツアー同行の方が私の荷物を持ってきてくれた。大変ありがたかった。
とりあえずゴール後に配布される冷やしトマトを求めてあちこちさまよったあげく、エディさんに場所を指摘してもらってやっと見つけることができた。オバちゃんから冷やしトマトをもらい、オジちゃんに塩をかけてもらって食べる。うまい!!
そうこうしている間にも、続々とゴールする人が詰め掛ける。泣きながらゴールし、同行と思われる男の人に抱きかかえられる女性の人もいた。柳腰風の女性で、このコースはなかなかつらかったものと思われる。しばらくすると、やはり吉田自転車ツール・ド・美ヶ原ツアーの同行の方がゴールインする。最後脚をつったようでつらそうだった。
しばらく休み、外で写真をとったり余った冷やしトマトを食べたりしたあと、レストハウスで自動販売機のコーヒーを買って皆でくつろぐ。そのレストハウスにはうどんやそばも売っていて食指が動いた。そのとき「最終組の下山が11時10分に出発します。この下山の組で下りない場合には、バスでの下山になります」とのアナウンスがある。そこで、あわただしくコーヒーを飲み干し、下山の列に付くことにする。
例によって最初下山の列はノロノロと進んでいたが、美ヶ原ツツジ地帯を過ぎ、下り坂になってからは大分列がバラける。
一昨年参加したときは下山時はかなりの雨だったため、自転車での下山は断念し、トラックに自転車を積んでもらってマイクロバスで下山した。この日は下山時も雨が降らなかったため自転車で下山する。
私はヒルクライムでの下山はあまり得意ではない。下ハンを握り、とにかく慎重に走行する。エディさんは、一昨年、下山していた女性がブレーキが利かずにパニックに陥って、時速80kmくらいで壁に突っ込んで落車し、ヘルメットが割れてその女性動かなくなってしまったという光景を目の当たりにしたとのことである(その人助かったのかなぁ)。
そんな話を聞いているので、とにかく自分の走行スキルの範囲内でクネクネと曲がるルートを走行できる程度のスピードで慎重に走行する。大体時速35km〜45kmの間くらいの感じ。相当慎重である。それでも、下り走行中大体自分のペースで自転車をコントロールできるので、下り走行自体は結構楽しかった。
下りでは、スタート地点から3kmほどの、いわゆる激坂区間はとおらず、より勾配がゆるい方の道に迂回して下山する。私は一度激坂区間で落車しているため、激坂区間の下りの怖さは何となくわかる。昨年試走したときに激坂区間を下り、どんな感じで激坂区間を下ればいいかは大体わかるが、初めてここを下る人の中には安全に下れない人もいようかと思う。下りの激坂迂回により、スタート地点に戻るまでに激坂区間の2倍ほどの距離を走らされるが止むを得ない。
下山して松本市営球場駐車場に戻り、着替えをして東京に戻る用意をする。エディさんがきみのゆ旅館のおかみさんと電話で話をしたところ、帰りにお風呂に入ってもよいとのことである。干天の慈雨とはまさにこのこと。ヒルクライムで疲弊し汗まみれになった体にはやはり温泉である。温泉と自転車イベントは実に相性がいい。考えてみると、私が参加したヒルクライムイベントの近隣には必ず温泉がある。
そういうわけで、まずはきみのゆ旅館に赴いて温泉に入らせてもらう。いや〜実に幸せ。温泉が五臓六腑に染み渡る感じ。ツール・ド・美ヶ原に来てよかった。来年もまたこの旅館に泊まって激坂を上りたいものだ。
きみのゆ旅館を出発してから中央自動車道に乗り一路東京へ向かう。だいたい午後1時半頃の出発か。途中昼食のために諏訪湖サービスエリアに寄る。
ここは諏訪湖に面していて、諏訪湖の雄大な眺望が楽しめる。ここの水が天竜川に流れて一気に太平洋まで下る。諏訪湖を目の当たりにして、私がブルベで走ってきた天竜川に思いをはせる。
そこではおぎのやの「峠の釜めし」が売っている。駅弁としての峠の釜めしは、もはや軽井沢の駅弁と化してしまった感があるが、その分ドライブインとしてあちこちにおぎのやは展開しているようだ。私はこの釜めしが大好きであるため、もうここでの食事については釜めし以外の選択肢はなかった。
他の人はチーズカレーなどを頼む。チーズカレーが特においしそうだった。カレーの上にグラタン風にチーズが乗っていて、その上にナスなどの夏野菜が乗っている。実においしそう。こちらにも引かれるものがあったがやはり釜めしである。
諏訪湖サービスエリアを出てからにわかに風雲急を告げ、やがて雨が降りだす。当初順調に高速道路の交通は流れていたが、高速道路の掲示板にはどうもこの先相当渋滞している旨が出ている。案の定、甲府や談合坂近辺や上野原〜相模原近辺でつながりっぱなし。どうも事故渋滞らしい。
その先も八王子から調布まで大渋滞のもよう。調布で2つも事故ったらしい。全く1000円渋滞で高速を下手に走る者が増え、かつ天気が悪いので随所で事故が発生している。
実際八王子から府中の間で激渋滞であった。しかし、府中を過ぎるあたりから徐々に流れ始め、調布のあたりでは全く問題なく走行することができた。このあたりで交通が流れてしまえば、あとは全く問題がなかった。
一時はどうなるかと思われたが、結局午後9時ころに無事に江東区にたどり着き、帰宅することができた。今回吉田自転車ツアー参加4人中、運転ができないのは私だけ(23年前に運転免許をとって以来、一度も運転しておらず、もう運転は忘れてしまった。)で、他の3人の方々が帰路代わる代わる運転してくださった。まことに多謝である。
そういうわけで、今回も楽しく安全にツール・ド・美ヶ原を感想することができた。機会があったら来年も参加したい。
(完)
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