さて12月22日は千葉ブルベ忘年会である。午後2時から船橋市商工会議所501会議室で行われた。最初2007年AJ千葉活動報告や会計報告、2008年AJ千葉活動報告が行われ、その後PBP報告会という段取りである。私と家内は午後1時ころ家を出て東西線に乗り、西船橋で総武線に乗り換えて会場へと向かう。ちょうど午後2時頃に会場に到着する。参加人数は10名前後か。
最初AJ千葉代表S司さんからAJ千葉の2007年活動報告と会計報告、後に2008年活動予定が淡々と報告された。2007年活動報告では千葉ブルベ200km、300km、400km、600kmの参加者数や完走者数の統計が出された。
千葉ブルベは、特に女性の完走率が高く(各回で5名前後の女性の参加者がある)、千葉ブルベ400kmを除くブルベで女性の完走率が100%であった。なぜ千葉ブルベ400kmで完走率が100%でないかというと、私の家内がそこで事故ってリタイヤしたからである。しかしこのときは結構な暴風雨の日で、下り坂ですらインナーローでないと走れないというすごい日だったらしい。それでも私の家内を除く女性が完走してしまうのだからすごい。千葉ブルベは、山あり海沿いありとなかなか楽しくてしかも走りやすいコースなので、是非女性の方にも参加して欲しいと思う。
活動報告が終わるとPBP報告会である。まずはAJ千葉代表のS司さんから。S司さんはパワーポイントでPBPの様子を紹介してくれた。しかしこの人の場合、PBPの走行よりも、むしろその前数年のこの人の毎月の自転車走行距離の統計をグラフに起こした上での走り込みが出来なかったときの原因の分析の方が圧巻であった。
この人が走り込みが出来なかったのは、ある年は交通事故、ある年は腰痛といった具合である。例えば、この人毎日片道20km以上の自転車通勤をしていた猛者だったのだが、交通事故で顔面陥没の骨折をして入院してその間自転車に乗れなくなっている。その後この人会社に止められて自転車通勤を止めている。そのときのCGでの頭蓋骨の分析をパワーポイントで紹介した。CGの緻密な画像で骨折の様子がよくわかって面白かった。
S司さんの後は、F山さんが適宜雑談ふうにPBPの話をしたり、I田さんがPBPでゴールしたあと病院に担ぎ込まれた話をしたりと面白かった。I田さんは急に腹痛を感じ、病院に担ぎ込まれた。推測ではコーラを飲んだのが原因のようだ。その後血液検査をして様子をみていたところ具合が良くなり、ホテルに帰りたいからタクシーを呼んでくれと頼んだのだがなかなか応じてくれず、誓約書のようなものを書いて病院から出してもらうことになった。ところがタクシーがなかなか来ず、何度頼んでも放置されてらちがあかなかったが最後にはタクシーが来てホテルに帰ることができたということである。
ゴール後病院に担ぎ込まれたことはそれはそれで大変だが、むしろその後なかなかタクシーが来なくて帰れなかったこともまた(いや、むしろそちらの方が)大変だったようだ。
この日のメーンイベントは、副会長のH山氏の「閉じこめ体験」である。この方、8月24日PBP終了後もなかなか帰ってこずに行方不明が伝えられたのだが、翌日元気な姿でホテルに戻ってきた。そのときは、途中でミスコースをして城壁に囲まれた町に迷い込み、城壁の門を閉められてしまってそこから出られなくなり、不審者と間違えられないように夜通し自転車をこいだり自転車をいじるふりをしたりして寝ずに一晩過ごし、夜明けを待って町を脱出してホテルにたどり着いた、というストーリーで理解していた。その全貌がここに明らかになる。
このH山さん、グーグルを使ってミスしたコースと閉じこめられた町を突き止め、パワーポイントにして紹介してくれた(なお以下のH山さんの体験談は要約であり、実際はよりディテールに渡ってH山さんは語られている。)。
それによると、ゴール地点まであと140kmくらいのMortagneのチェックポイントを出た後しばらく走ったところでミスコースをし、何とかかんとか元のコースに復帰しそうになった。しかしやはり道がわからなくなり、地元の人に道を尋ねるがあまりあてにならない。そこで他の人に尋ねようとするとなかなか離してくれず執拗に怪しいコースを教える。
そんなこんなで結局ミスコースのため、制限時間内にゴールできる見込みが立たなくなった。そこで、ゴールにもどる途中の道で居酒屋があったので、えーい飲んじゃえとばかりに居酒屋に入って酒を飲んでいたところ、マイヨブランを着た日本人と言うことであっというまに居酒屋で囲まれて人気者になった。ジャージの後ろに還暦祝のステッカーをつけていたところまたこれが大人気。
すっかり気分を良くしてゴールへの帰途につき、その後フランス人と一緒に走行したところ、どうもこのフランス人の道案内が信用ならない。そこで、「君は君の道を行け、俺は俺の道を行く」とばかりにこのフランス人と別れ、そして我が道を行ったところ、ゴールまであと10数キロくらいのところで迷路の様な町に迷い込んだ。
そこから脱出しようとするのだが、ゆけどもゆけども同じところをぐるぐる回って元の場所に戻ってしまい、一向に迷路から脱出できない。折しも深夜、街灯もないような漆黒の闇の中ぐるぐると迷宮をめぐる。どうも城壁のある町に迷い込んで扉を閉められた、というわけではないようなのだが、とにかく出口が見つからないので事実上閉じ込められたも同然である。
そこで野宿してしまってもよかったのだろうが、H山さんは不審者と間違えられるのを避けるために一晩中起きて自転車をこいだり自転車を整備するポーズをとったりと忙しかったようだ。その間何回か落車したとのことである。
そしてようやく空が白んでくると同時に再び出口探しを初め、見事脱出してPBPツアー一行が泊まっていたホテルに到着して難を逃れ、一件落着したとのことであった。
何と言うか、実際の体験談よりも、城壁のある町に迷い込んだところ門を閉められて出られなくなったという方が、フランスの古い町並みを思わせてロマンティックではある。しかし城壁なんかなくても、実際の体験談だけで結構おなかいっぱい面白い。フランスの迷宮のような町並みに迷い込み、漆黒の闇の中一晩過ごすという経験をする人は、日本広しといえどもそう何人もいないだろう(というより、そもそもフランスまで出かけて1200kmを90時間以内に走ろうという時点で、そもそもかなり酔狂者と言えようが。)。H山さんはPBP完走以上に貴重な経験をされたと思う。
パワーポイントを駆使した緻密なH山さんの閉じ込め体験談に一同感動し、千葉ブルベ忘年会はお開きとなる。H山さん閉じ込め体験談の感動の余韻も覚めやらぬまま船橋の魚民に河岸を変えて二次会に突入する。午後5時ころと比較的早い時間に店に入ったので客は少なく、10名前後の席をすぐに取れる。早速みんなで自転車ネタ、ブルベネタで盛り上がる。
途中、日本のブルベエースの一人であるU保さんも参加する。この人がフランスの集団に邪険にされたときの話がなかなか面白かった。日本男子ここにありということを見せ付けてくれて気持ちよかった。また、あえて名を伏せるが、飲酒後のジャガーチェンジ、即ち豹変ぶりがなかなか面白かった方もいらした。カパカパとウィスキーのロックをあけて気を失いかけている人もいらした。
私はブルベの人たちとは日ごろブルベ会場でのお付き合いなので、当然酒が入った上での話しなんてしない。それゆえ、こういう人たちとお酒を飲んで話すと実に面白い。話がすすむと酒がすすみ、そうするとまた話がすすむ。こうした無限ループが続いてあっという間に夜が更け、皆ヘメラモになる。いやぁ実に楽しかった。またブルベの人たちとどこかで酒を飲みたいものだ。
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posted by goiss at 06:11| 東京 ☔|
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